どうもです。
参議院選挙2025年の投票日である2025年7月20日に記事を書いています。
この記事は、「〇党」に入れて欲しいという内容の記事ではなんですが、私自身が感じている事を中心に書いていきます。
その前に私は昭和53年1月生まれの現在47歳です。つまりは「失われた30年」の前に産まれました。こうなると、次の世代に向けてリアルな情報やインプレを少しは書けると思っています。
私が20歳の頃、今から27年くらい前初めての消費税3%が施法されました。遊び惚けておりましたので、あまり気にしていませんでした。というよりは、政治的な事に一切興味が無く選挙も有権者でありながら投票もまじめに行っていませんでした。
3%の消費税は1円単位のレジでの支払いが増えたな~くらいの感覚でした。当時は好景気の余韻の中という雰囲気があり、みんなお金を持っている時代というイメージが強いです。一戸建てが2億円とかでも売れるという感じ。
残業とかブラック企業は当たり前だったし、JRも国鉄だったり、郵便局も国営だったり。
なのですが。。。。
脳をタイムトラベルさせて考えてみると、その昭和と平成のハザマの時代に既に今の流れの初動が存在していたと言い換えることもできます。
消費税が国民からトリッパグレなく徴収できる財源であること、ステルス税には多くの方が知るよしもない事。そういった事は、二十歳そこそこの私にはほぼ無関係だったわけです。
しかし、実際に国内初の施法された消費税により私たちの財産は確実に少しずつ削られ始まったといえます。(その時が起源ではないのだろうけど)
さて、現在と言えば張り巡らされたネットによって多くの情報を得ることができ人々の意見もその数の分だけ分かれていると感じます。
国を語れば右翼
売国をすれば官軍
天皇を崇拝すれば〇翼
。。。。。
右に習えで安泰、銀行に勤めれば安泰、公務員となれば安泰という時代は完全に過去のものに。今は稼いでいる人は今は幸せを感じているだろうけども、価値が失われたときは虚無感もあると思う。その可能性はゼロではないから。
中国を非難する人が多いけど、個人的には政治や政の興味の始まりには歴史ゲーム(シュミレーションゲーム)の三國志がスタートでした。諸葛孔明が好きすぎて書物を漁った時期があります。歴史書なので書き換えもあるとは思うのですが、今にも通用する手法もあると思っています。
- 政は民の為にあり。(多くの君主はそう掲げつつ失脚している人も沢山いるケド)
- 世は乱世である。(志や憤りは持って良い感情)
- 私利私欲に狂う政権中枢の人間が要因で乱れることがほとんど
私利私欲で好き放題やった三國志の武将に「董卓」がいます。洛陽の都を燃やして遷都して長安に勝手に移した悪名高い董卓。腹心ももちろんそっち系の人たちで固めています。いうこと聞かないと簡単にバンされますからね。
さて、グローバリストの描いた世界観が完成に近づいている現在で、「董卓」の様な人物は一体だれなのか?どういった組織がどういった手法で実行しているのか?これは人として生きている以上必要なアンテナ感覚だと思っています。
もう少し三國志の話します。
董卓のころ、多くの武将や君主が地方を支配して群雄割拠の時代でした。最終的に「魏・蜀・呉」という三国にまとまっていくのですが、董卓からみた天下、曹操からみた天下、劉備からみた天下、孫堅からみた天下と時流はそれぞれ別のものであったと思います。
みな、自分が官軍であり負ければ国賊なので立ち振る舞いを調整して策略を用いて生き抜いていきました。そして現在も中国が得意とする「美人局」や「毒殺」「暗殺」などは日常茶飯事でありました。
そんな中、忠志(志熱く忠義の士」も沢山存在していました。
現在の日本という国の内政は安泰でしょうか?乱世でしょうか?
その感覚で世の中をみて、家族を守り、子孫を守ろうと考えるとき、乱世なのか安泰なのかは大事な事です。
民に尊敬され愛され畏れられる偉大なリーダーが統率しているよを望むのか?税を私財と誤解し隠ぺい工作を続けて搾取しつづけるリーダーをご丁寧に支え続けなければいけないのか?
今回の参院選2025は、この2極が存在しているかと思います。
振りかざされる権力が正しいのか、それもと否なのか。
董卓を選ぶのか、それ以外か的な。
私は、老人になるまで生きれるのならばこういった世の中の見方を伝え続けたいと思っています。
PS:2025/07/20の3連休ど真ん中に投票日を設置するかね~。。。(施法主の思惑はミエミエだw)